長野県は、熊本や会津など同じく古くから馬肉文化が根付いていた地域です。

もともとは、年老いた農耕馬を食べ始めたのが馬肉を食べ始めた始まりとも言われ、明治15年から16年ころから食べ始めたとも言われております。
(明治以前は、食肉禁令(牛、馬、犬、猿、鶏といういわゆる五畜の肉食を禁止する令)でお肉を食べることは、あまりなかったようです。)

牛肉を食べることが文明開化の象徴と考えられ、だんだんと食文化も変わってきました。
物資の輸送や農耕馬として大量に飼育されていたため、廃馬処分された馬がだんだんと食用になったようです。

特に南信州の飯田や伊那地域では、食用といえば馬肉を指していたくらいに、当時から日常的に馬肉を食べていたようで、馬肉を使った郷土料理「おたぐり」や馬肉の名店などいまでも受け継がれております。
その風習は、だんだんと広がり馬肉の需要は高まっていきましたが、農耕馬はだんだんと減っていて地元だけでは供給不足になるようになりました。

そこで博労(ばくろう)と呼ばれる牛馬の仲買をしていた商人が各地より馬を買い付けるようになりました。
博労たちは、当初 北海道や東北地方で馬を買い付けるようになりました


買い付けた馬は、新宿駅にいったん運ばれ汽車に載せられ長野まで運ばれたのですが中央線を利用で運ばれた馬が多いのか、南信州には馬肉文化が根付いており馬肉料理の名店も各地にあります。

やがて、戦後の食糧難時代には安価でタンパク源となる馬肉はすき焼きや焼き肉として供給されることで一般の家庭に広く普及しました。
また、生で食べる馬刺しも海が無い長野県で魚の刺身に代わりにこの頃に広まったと言われております。

たんだんと馬肉文化は根付いてきて、商店街の精肉店でも馬肉や馬刺しが他のお肉と同じように販売されるようになり、一般の家庭でも馬刺しの他に、煮込んだり焼いたり調理をして食べられるようになりました。

時代の変化と共に、食べ方も変わってきました。

馬刺しでお寿司を握ったり、サラダに和えたりカルパッチョに仕上げたりと、洋風お料理のバリエーションなど多彩なお料理と楽しみ方で女性の方にも大人気の食材の一つになりました。


長野県の隣県 山梨県も古くから馬肉を食す文化がある地域です。
その始まりは、富士山信仰が盛んになり荷揚げに馬が用いられ飼育されるようになった背景で馬肉が安価で仕入れられるようになり、広く馬肉を食する文化が広がったようです。
また、山梨県の有名な郷土料理「吉田うどん」の具材として地元野菜や油揚げと一緒に入れるお肉に、甘辛く煮込まれた馬肉が用いらるようになり最近は道の駅 富士吉田 でお野菜等の具と馬肉を和え甜麺醤ベースの味付けで仕上げた「馬肉まん」を発売されるなど、今なお馬肉文化は進化しております。

PAGE TOP


住所:長野県茅野市ちの茅野町3076
電話:0266-73-8298